この記事は、さきほどのエントリー「広告というより、まるでアートなワインショップの広告」で書いたことの補足です。
かつて私は働いていた編集プロダクションで多くの学生を面接しました。経験者採用がほとんどの出版業界において新卒の学生が編集者になるというのは意外と難しく、社員数10名弱の会社にも関わらず、1年間に応募してくる学生は100名を超えていました。
そんななかで、面接の際に私が一番最初にしていた質問が、「なぜあなたは編集者になりたいのか?」という質問。この質問は至極ありきたりなもののように感じるかもしれませんが、実は採否を決定する上で非常に大きな意味をもっていました。
不思議なもので、この質問をすると大体100人中70~80人は「編集者になって表現がしたい」と答えます。しかし、私はその言葉を聞いただけで、瞬間的に採点欄に「×」を付けていました。
なぜなら、そんな答えをする人は確実に編集者には向いていないし、編集という仕事を勘違いしているからです。
編集者という仕事は決して自らの自己表現欲求を満たすことが仕事ではありません。それよりも、読者が何を知りたいかという一点を見据えて、読者が伝えて欲しいであろうことを伝えていくのが仕事です。
考えてみればわかりますが、自己表現なんてことを目的にしていたら、読者にお金を払って買ってもらえる本なんて一生かかっても作れません。
だから、仮にもし「表現がしたい」ってことが編集者を目指す最大の理由であれば、何もプロの編集者にならなくたっていい。自称売れない小説家にでもなるべきだし、もっと言うと仕事ではなく趣味のレベルでやればいい話。
今の時代であれば、ブログを立ち上げたり、同人誌でも作っていた方がよほど自己表現欲求を満たす近道になる。
ところで、これって編集の仕事だけの話なのでしょうか? いいえ、これっておそらく広告業界にも言えることではないかと思います。広告もクライアントからお金をもらって商品・サービスを売るために実施する以上、結果的にクライアントの売上に貢献するってことを第一に考えなければいけないはずです。
広告を使って自分のアイデアを実現して、自分を売り込むことが目的になってはいけない。あたりまえですが、クライアントのお金を使う以上、売り込むべきは自分自身ではなく、クライアントの商品やサービスであるべきです。
『キミがこの本を買ったワケ』という本には次のような話(P.72-73)が載っています。
現代広告の父であるオグルビーが、その著書『「売る」広告』の冒頭で紹介している小話を1つ。
昔、雄弁家のエスキネスが演説した時、人々は「なんて話が上手いんだろう」と感心した。続いてデモステネスが演説した時、人々はこう叫んだ。
「フィリップ王を倒せ!」おわかりいただけただろうか。
オグルビーが言いたかったのは、つまりこういうことである。
「広告とは、モノを売る手段であって、それ自体が輝いて見えても何の意味もない。エスキネスの演説がいくら上手くても、聴衆がフィリップ王を倒そうと思わなければ、本末転倒なのだ」
業界内で評価が高いとか、手がけた広告が賞を取るのはそれはそれですごいことかもしれないですが、それは本来的に目指すべきものではありません。
やっぱり広告マンが目指すべきものは、「君のおかげで商品が売れて、ユーザーが満足してくれたよ」っていうクライアントからの一言のはずです。そして、それこそがおそらくはカンヌ国際広告祭のグランプリを受賞するよりもよほど名誉なことだと思います。
![]() |
キミがこの本を買ったワケ 指南役 扶桑社 2007-03 |
- 書とノートパソコンを捨てず、町へ出よう ~あるオトコのニート生活1日目の日記~
- 広告の効果をダイレクトレスポンスとブランディングという二元論で語っていないか?
- オーダーメイドスーツのように、マーケティングプランもオーダーメイド発想で
- 広告系ブロガー・第2回スピンオフ会に集った方々は、「天を見て」仕事をしている人たちばかりでした
- 『そんなんじゃクチコミしないよ。』を読んだけど。。。しまった! 読むんじゃなかった




Trackback URL
Trackbacks
Comments
Comment feed
Comment